DCコミックスで人気のヴィラン「ジョーカー」の誕生を描いた『ジョーカー』。主演のホアキン・フェニックスの見事なまでの演技力もさることながら、トッド・フィリップス監督の独自の解釈で捉えた本作は、これまでにないジョーカーの世界観と物語を描いています。
公開から3日が経ち、劇場へ足を運んだ方も多いと思いますがいかがでしたでしょうか?この激しく、クールで、どこか不快な122分はきっと観た人に生々しい余韻を残したことだと思います。先日『ジョーカー』についての感想、そしてラストについての考察を書きましたが、本記事では『ジョーカー』のラストについて新たな説を立ててみました。
本作『ジョーカー』は優しく貧しい青年アーサー・フレックが様々な不運から、狂気に走って犯罪者のカリスマ「ジョーカー」へと変わっていく様子を描いた作品です。子供のいる病院で銃を所持していたことがバレたことでコメディアンの仕事をクビにされ、挙句の果てに列車でウェイン・インダストリーの社員3人を怒りに任せて射殺。その後、自分が母親の本当の子供でなかったことを知ってからは、母親や元同僚、さらに憧れのコメディアンだったマレー・フランクリンを殺していき、貧しい市民を代表する悪人へと変貌していきます。
まず、この映画の大きな問題はアーサーに妄想癖があるということです。この設定こそが、「何が本当に起きたことで何が妄想だったのか」ということを観客に考えさせ、『ジョーカー』が単純な映画ではないように思わせます。
何が妄想だったのかという疑問については、別記事でも書いているように様々な可能性が考えられます。
マレー・フランクリン・ショーでステージにあげてもらうシーンとソフィーと良い関係になっている部分はアーサーの妄想であることは明らかですが、本当にマレー・フランクリンを殺したのか?本当に自宅を訪ねてきた同僚を殺したのか?本当に暴徒と化した市民がアーサーを讃えたのか?その他の部分はどこまでが妄想なのかはわかりません。
ただ、ラストの精神科医のカウンセリングを受けるシーンは妄想ではなく真実です。アーサーが本当に多くの殺人を犯したにせよ、妄想だったにせよ、逮捕される運命だったのでしょう。
アーサーはジョーカーではない可能性も
トッド・フィリップス監督は『ジョーカー』が他のDCユニバース作品に属さない単独の映画であることを発表していますが、トーマス・ウェインやブルース・ウェイン、ゴッサムシティやアーカム記念病院など『バットマン』の世界観に繋がる部分はちゃんと紹介されています。
また裏路地でトーマス・ウェインと妻のマーサがブルースの目の前で殺されるというのは『バットマン』を知る人ならみんな知っている設定です。この事件の後、両親を失ったブルースは執事のアルフレッドに育てられて後にバットマンになり、ジョーカーと戦うことになります。
ここで気になるのはジョーカーの年齢についてです。
『バットマン ビギンズ(2005)』によると両親が殺害されたときブルースは8歳、その14年後に悪と戦う力をつけるため世界を巡る旅に出ます。そこからさらに7年後に帰郷、ゴッサムを守るバットマンとしての活動を始めます。つまりブルースがバットマンになったのは最初の事件から21年の時が経った29歳の時ということになります。(『ダークナイト』は『バットマン ビギンズ』の半年後の設定なので、『ダークナイト』の時のブルースは29歳か30歳)
『ジョーカー』でのアーサーは年齢が明らかにされていないのでハッキリとはわかりませんが、アーサーを演じたホアキン・フェニックスが現在44歳。まあ劇中のアーサーのあの風貌から30代よりは40代と言った方がしっくりくるので、アーサーはホアキン・フェニックスと同じ44歳だと仮定します。
そうすると少なくとも後にバットマンと対決する時には、21年後、アーサーは65歳ということになります。さすがに歳行きすぎなんじゃないかと思いませんか?
ここで思ったのは後にバットマンと戦うことになるジョーカーはアーサーじゃないのかもしれないということです。アーサーはウェイン・インダストリーの社員を殺し、さらにマレー・フランクリンも殺害、富裕層に反感を持つ市民に悪という火を焚き付けたカリスマになりました。(アーサーの妄想でなければ)
実はアーサーの物語はここで終わっていて、後にジョーカーとなる人物はアーサーに感化された別の人物なんじゃないかと。それも20代〜30代前半ぐらいの。
トッド・フィリップス監督は『ジョーカー』の続編を作るつもりはないと語っており、現時点ではアーサーのその後についてやバットマンと対峙するまでが描かれることはありません。ですがアーサー自身がジョーカーですらないとしたら…それこそ彼の人生は本当に喜劇ではないでしょうか。