先日『タクシー・ドライバー』や『グッド・フェロー』など数々の名作を生み出してきたマーティン・スコセッシ監督が、マーベル映画に対して「あれは映画ではない」「最も近いものはテーマパークだ」と発言して物議を醸したことは記憶に新しく、この件に対してロバート・ダウニー・Jrやジェームズ・ガン、サミュエル・L・ジャクソンといったマーベルの関係者は相次いでコメントを発表しています。
そんな中『ゴッド・ファーザー(1972)』や『地獄の黙示録(1979)』で知られるフランシス・フォード・コッポラ監督も、フランスのリヨンで行われたリュミエール賞授賞式に出席した際、スコセッシ監督を擁護する形でマーベル映画に対して「浅はかだ」とコメントしました。
「スコセッシがマーベルの映画を”映画ではない”と言ったが彼は正しい。我々は映画を観ることで、何かを学んだり、様々な知識やインスピレーションを得たいと思うからさ。同じ映画を何度も繰り返し観て、得られるものがあるのかどうかが私には分からない。スコセッシが“映画じゃない”と言ったのは親切だったと思うよ、”浅はかだ”とは言わなかったから。私はそう言うけどね。」
先のスコセッシ監督はマーベルを「まるでテーマパーク」と形容したものの、その言葉の裏にはマーベルにはマーベルのいいところがあることを認めており、映画館は「価値のある映画」をもっと上映すべき、というマーベルというよりはむしろ現在の映画業界の風潮に対して批判していました。ですがコッポラ監督はあからさまにマーベル映画を受け入れない姿勢を示しています。
この発言に対して『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのジェームズ・ガン監督は自身のInstagramで「天才だとしても正当に評価できるわけではない」とコッポラ監督へ反撃するも、その発言を受け入れる姿勢を示しています。
「僕たちの祖父の多くがギャング映画はすべて同じだと思っていたし、時には“浅はか”だとも言っていました。また曽祖父たちは、西部劇にも同じことを思ったでしょうし、ジョン・フォード、サム・ペキンパー、セルジオ・レオーネたちの映画もすべて同じだと思ったでしょう。僕の大叔父が『スター・ウォーズ』に対して“こういうのは『2001年宇宙の旅』で観た、つまらないよ”と言っていたのを覚えています。スーパーヒーローというのは、簡単に言えば現代のギャングであり、カウボーイであり、宇宙の冒険者たちなんです。ひどいスーパーヒーロー映画もあれば、美しい作品もあります。西部劇やギャング映画と同じです(そもそも映画である以上はそうなんです)。たとえ天才だとしても、誰もが正当に評価できるわけではありません。そして、それで良いんです。」
また、アメリカのヒューストンで開催されたイベント「Fandemic Tour」に出席した、バッキー・バーンズ(ウィンター・ソルジャー)役のセバスチャン・スタンもコッポラ監督の発言にいち早くコメント、コッポラ監督を讃えながらもマーベルを擁護する姿勢を明らかにしました。
「(コッポラ監督は)現代最高のフィルムメーカーで、僕にとってはヒーローの1人です。そして彼の意見に耳を傾ける一方で、僕は(ファンの)みなさんとこうやって丸一日過ごしていると「このキャラクターを演じてくれてありがとう」とか「この映画に救われた」とか「映画に刺激を受けて、良い気分になりました」なんてことを言ってもらえます。それでもこういう(スーパーヒーローの)映画が人の役に立っていないなんて言えるんでしょうか?」
これからしばらくこの「コッポラ事件」は、マーベルを擁護するファンや関係者によって物議を醸すことになりそうです。
source : Comicbook.com