『エイリアン(1979)』や『炎のランナー(1981)』、『フィフス・エレメント(1997)』など数々の映画に出演し、映画、演劇界に大きく貢献してきた名優イアン・ホルムが2020年6月19日(現地時間)88歳で亡くなりました。イアンは近年パーキンソン病を患っていたことをThe Guardiansなど複数のメディアが報じています。
そんなイアンの演技力と知名度を新たに知らしめたのはファンタジー映画の金字塔『ロード・オブ・ザ・リング』、『ホビット』シリーズで演じたビルボ・バギンズ役でしょう。シリーズ第1作『ロード・オブ・ザ・リング / 旅の仲間(2001)』からシリーズ最終作『ホビット 決戦のゆくえ(2014)』まで計4作に出演、シリーズを通して優しくも茶目っ気のある老ホビットを演じ切りました。
『ロード・オブ・ザ・リング』、『ホビット』全シリーズで監督を務めてきたピーター・ジャクソン監督は「素晴らしきイアン・ホルム卿」と題し、Facebookを通して亡きイアンに向けて賛辞を贈りました。そこには語られざるイアンの人物像や涙なしでは語れない感動秘話が綴られています。
ピーター・ジャクソン監督からイアン・ホルムへの賛辞(全訳)
イアン・ホルム卿の死に悲しみを感じています。
イアンはとても優しくて寛大な人でした。 静かだけどどこか生意気で、いつも目をキラキラさせていました。
2000年の初め、『旅の仲間たち』のビルボのシーンを撮影する前、私は尊敬できる俳優との仕事に緊張していましたが、彼はすぐに私を安心させてくれました。初日、カメラが回る前にBag End(袋小路屋敷、ビルボの家のセット)に立っていると、彼は私を隅に連れて行って、「テイクごとに違うことを試しみるけど、5、6回やっても良い演技ができてなかったら遠慮なく具体的な指示を出してくれ」って言ったんです。
ですが実際は、彼の多彩なセリフの読み方や演技はどれも信じられないぐらい素晴らしいもので、私が指示を出すことはほとんどありませんでした。
『旅の仲間』の冒頭30分間のシーンの撮影は、とても楽しい4週間でした。
ある日、パーティでビルボが足元に座っている3歳と4歳の子供たちに向けて、ビルボの昔の冒険の話をするシーンを撮影することになりました。私たちはまず、イアンのパフォーマンスを撮影するのですが、ドラマチックな内容に反応する子供たちのアングルも撮影する必要がありました。ですが子供達は同じ話を何度も聞くことができず、撮影にすぐに飽きてしまうことに気がつきました。
そこで私は、子供たちの注意を引きつけるために、テイクごとに少しずつストーリーを変えていくべきだと提案したんです。私はイアンに「心配しないで、編集室で解決するから」と言いました。
さらに、子供達をその場に留めたまま、ある角度から別の角度へとカメラを素早く移動させる必要もありました。映画のセットで言う「早く」というのは15分から20分という意味です。なので私はイアンに、「カメラが回っていない間に子供達を楽しませ続けなければいけない」と囁きました。そして、彼はまさにそれを実行したんです。数時間で、必要なシーンは全て撮影できました。
子供達がセットから外に出て、スタッフが次のシークエンスに移ると、イアンは「こんなに一生懸命働いたことはないよ」って言ってました。
それから十数年後、『ホビット』の撮影の際、私はオープニングシーンでイアンが再びビルボを演じてくれることを期待していました。(脚本で妻の)フランと私は、ロンドンでイアンと妻のソフィーと食事をしました。ですが彼は「とても残念だけど、それはできない」と話したんです。さらにショックだったのは、彼がパーキンソン病と診断され、セリフを覚えられなくなったことを打ち明けたことでした。歩くのも困難で、ニュージーランドへの旅行もできない。彼は、(俳優業を)引退したとプライベートで打ち明けていたんですが、それを公表していなかったんです。
晩年のビルボ役のイアンから若いビルボ役のマーティン・フリーマンに役を譲る良い方法を考えていたので、これは痛手でした。それをイアンに説明すると、彼は気に入ってくれました。そして、私の母と叔父がパーキンソン病に長年耐えてきたこと、そして私がパーキンソン病の影響をよく知っていることも話しました。
この時の夕食は、私たちが彼に演じてもらいたい新しいシーンを説明し、イアンがそれができない理由を説明するというものだったはずですが、突然それがシンクタンク(研究、分析を行う機関)のように変わり、イアン、ソフィー、フラン、そして私は、イアンが最後にもう一度ビルボを演じることができるようにするためのプロセスを考えようとしていたんです。
私たちはニュージーランドで映画を撮影している。だけど、私たちがロンドンに来て、イアンの自宅の近くで彼のシーンを撮影するのはどうだろうか?って。
食事が終わる頃、彼はゆっくりと頷いて「うん、できると思うよ」と言ってくれました。でも、私には彼が好意でやってくれているのだとわかっていたので、私は目に涙を浮かべながら彼の手を握ってお礼を言いました。
私たちはニュージーランドで、若いビルボ役のマーティン・フリーマンと一緒に撮影を始めました。マーティンはイアン・ホルムに憧れていましたが、彼には会ったことがなかったんです。どうしてもニュージーランドで撮影しなければいけないワイドショットが必要だったので、マーティンは晩年のビルボ役のイアン・ホルム卿を演じるために補整メイクをすることを快く承諾してくれました。
それから数ヶ月後、私たちはBag End(ビルボの家)のセットを持ってロンドンに戻り、約束通り小規模のクルーでイアンのショットを撮影しました。イアンの素敵な妻ソフィーは毎日彼の側にいて、彼と私たちクルーの両方を助けてくれました。
4日間で必要なものをすべて撮影しました。(フロド役の)イライジャ・ウッドとイアンは『ロード・オブ・ザ・リング』の頃から友達になっていて、イアンは毎日ロンドンの撮影現場でサポートをしてくれました。
完成した映画では、イアン・ホルムがビルボを演じている姿を皆さんに見てもらいたいと思います。ですが、私がセットの中で経験したのは、素晴らしい俳優が人生最後の演技をするということでした。それは彼の勇気ある行動であり、それを目の当たりにした人たちにとってはとても感動的なことだったんです。
私たちはイアンにいつも心から感謝しています。一緒にいる間、フランと私は彼のことが大好きになり、彼と一緒にいる時間をとても楽しく過ごしました。
撮影終了を祝うために、イアンとソフィーはフランと私を夕食に招待してくれました。ユーモアと楽しさに満ちた素敵な夜でした。イアンと私は、お互いにナポレオンに強い関心を持っていることを知って、何時間もナポレオンについておしゃべりしましたね。
その1年後、ロンドンで『ホビット』の第1作目が公開されたとき、マーティン・フリーマンはついにイアンに会うことができました。
イアン・ホルムのパフォーマンスを見て、私は多くのことを学びました。彼と一緒に仕事ができたことは特権であり、彼を知ることができたことは幸せなことでした。
私は『王の帰還』の最後のシーンでのイアンの演技がずっと好きでした。
「私はいつでも冒険に出る準備はできています。」
さようなら ビルボ 気をつけてね イアン
source : The Guardians